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松本街道

まつもとかいどう

概要

松本街道

まつもとかいどう

史跡 / 中部 / 新潟県

新潟県

糸魚川市

指定年月日:20020319
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

松本街道は,北陸道の脇街道で,越後糸魚川から信州松本に至る。信州街道,千国街道ともいい,信州側では糸魚川街道と呼んだ。姫川渓谷をさかのぼる全長約120kmの峻険な山越えの道で,日本海側からは塩や海産物が,信州側からは大豆・煙草・生薬・綿・麻などが牛やボッカの背で運ばれた。この街道は,別名「塩の道」とも呼ばれ,塩をはじめ,街道周辺の人々の生活物資の輸送路として重要な役割を果たした。
 越後の戦国大名であった上杉謙信は,道沿いに番所の設置と信州問屋制度を設けて,街道を管理しつつ塩の自由交易を保障しており,塩留めに苦しむ武田信玄に塩を送った俗説故事のもととなった。また,江戸時代の記録としては,糸魚川領の番所における「扱い荷駄記録」などが現存しており,これによると,例えば,安政5年(1858)12月から翌6年11月までの間の信州へ送る荷と信州から入る荷の割合は,概ね10対1であり,輸送物資のほとんどは,塩をはじめとする海産物で占められていたことがわかる。このほか,明治2年(1869)に番所,信州問屋が廃止されるまでの街道関係資料も良好に残されている。
 明治25年(1892)の新道開通により,古来から続いた北陸道の脇街道としての役割を終えたが,林業用道路など地域住民の生活の道として利用され続けたために,古道の遺存状態は良好である。新潟県教育委員会による「歴史の道」調査が平成2年に実施され,文化庁補助事業による「歴史の道整備事業」が平成4年度から11年度に行われた。糸魚川市域の松本街道は全長約20kmに及ぶが,大野地区と根知地区の山道の約10kmが旧状を良く留めている。松本街道は,北陸道の脇街道として信州松本に海産物,塩を送った「塩の道」として著名であり,地域の生業の特性を示す古道としても重要である。よって境界が確定できた約5kmの古道と石仏群,茶屋跡,ボッカ宿跡などの関連遺跡を史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。

松本街道は,江戸時代に整備された越後糸魚川から信州松本に至る北陸道の脇街道で,信州街道,千国街道ともいい,信州側では糸魚川街道と呼んだ。姫川渓谷を南下する延長約120kmの峻険な山越えの道で,日本海側からは塩や海産物が,信州側からは大豆・煙草・生薬・綿・麻などが牛やボッカの背で運ばれた。この街道は,別名「塩の道」とも呼ばれ,塩を初め,街道周辺の人々の生活物資の輸送路として重要な役割を果たした。
 越後の戦国大名であった上杉謙信は,道沿いに番所の設置と信州問屋制度を設けて,街道を管理しつつ塩の自由交易を保障しており,塩留めに苦しむ武田信玄に塩を送った俗説故事のもととなった。また,江戸時代の記録としては,糸魚川領の口留番所における「扱い荷駄記録」などが現存しており,これによると,例えば,安政5年(1858)12月から翌6年11月までの間の信州へ送る荷と信州から入る荷の割合は,おおむね10対1であり,輸送物資のほとんどは,塩をはじめとする海産物で占められていたことが分かる。このほか,明治2年(1869)に番所,信州問屋が廃止されるまでの街道関係資料も良好に残されている。
 明治25年(1892)の新道開通により,古来から続いた北陸道の脇街道としての役割を終えたが,林業用道路など地域住民の生活の道として利用され続けたために,古道の遺存状態は良好である。新潟県教育委員会による「歴史の道」調査が平成2年に実施され,文化庁補助事業による「歴史の道整備事業」が平成4年度から11年度に行われた。糸魚川市域の松本街道は延長約20kmに及ぶが,大野地区と根知地区の山道の約10kmが旧状を良く留めている。松本街道は,北陸道の脇街道として信州松本に海産物,塩を送った「塩の道」として著名であり,地域の生業の特性を示す古道としても重要である。よって境界が確定できた約5kmの古道と石仏群,茶屋跡,ボッカ宿跡などの関連遺跡を史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。

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キーワード

街道 / / 整備 / ボッカ

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