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上時国氏庭園

かみときくにしていえん

概要

上時国氏庭園

かみときくにしていえん

名勝 / 中部 / 石川県

石川県

輪島市町野町

指定年月日:20010129
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 上時国氏庭園は、輪島市東北部を北流する町野川の右岸に位置する。時国氏の名は、文治元年(1185)に平氏が滅亡した後、能登に配流となった平時忠の子孫時国がこの地域を開発したことに由来する。時国氏は、室町中期から近世に至る期間に、多くの下人を使った大規模な水田経営をこの地方に展開した豪農であり、広く海運にも携わった。寛永11年(1634)に下流に位置する時国氏を分立して以来、上流に位置した時国氏は上時国氏と呼ばれるようになり、幕府領となってからは代々庄屋をつとめ、幕末には大庄屋をつとめるに至った。
 上時国氏庭園は、住宅の書院から観賞できるように、西、南、東の三方向に面して造られている。書院の南から東にかけて細長い池を掘り、東方の岩倉山から続く山麓の湧水と伝い水とを集める。池の護岸にはやや大ぶりの石を用い、南西の池尻近くに石橋を架けている。池の南側の山麓は小高く築山状に池辺に張り出し、その斜面に寄せて大きな立石を中心として一群の石を組んだ部分がある。書院の南庭と東庭は、背景となる山腹と池、石組みを配した築山などからなり、高低感のある立体的な構成をとる。これに対し書院の西庭は全体を苔で覆い、クロマツ、モミ、シイなどの樹下に広がる平場に数個の景石のみを配した平面的で簡素な意匠となっている。
 上時国氏が所蔵する「由緒書上帳」によると、現在の住宅は天保2年(1831)に竣工したことが判明しており、おそらくこれと同時に庭園も完成したものと考えられている。住宅の立地と園池及び築山の配置関係などは、江戸時代に定式化した住宅庭園の様式を踏まえたものであるが、池の護岸や築山に豪快な石組みがあるなど独特の意匠が認められるほか、背後の山腹から書院前庭に至るまで苔と樹林に覆われた幽遂な雰囲気を醸し出しており、観賞上の価値は極めて高い。また、寛永11年(1634)に分立した時国氏の庭園とともに、江戸時代におけるこの地方の豪農の文化的な水準の高さを示す事例としても、学術的価値は極めて高い。よって名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。

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キーワード

庭園 / 築山 / /

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