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毛利氏庭園

もうりしていえん

概要

毛利氏庭園

もうりしていえん

名勝 / 中国・四国 / 山口県

山口県

防府市多々良

指定年月日:19960329
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 毛利氏庭園は、山口県防府市中心市街地の東に接する史跡周防国衙跡や周防国分寺境内の北方、多々良山山麓に位置する。
 この地には、もと水田の上流部としての溜池や小さな集落があったが、明治25年頃から旧長州藩主毛利家の新しい本邸の場として選ばれ、建設準備が始まった。しかし、折からの日清・日露の役のために遅延し、大正元年になってやっと着工をみ、同5年に本邸と庭園の完成をみたのである。
 旧山陽道から北へ、両側に松並木を配した長い進入路を行くと城門風の表門に至る。門の東は土塀、続いて石垣が南の境として巡らされ、さらに外側に濠を設けて城郭風の趣を呈している。濠周囲には桜並木を配して景趣を盛り上げている。
 表門を入りゆるやかな通路を進むと、右側に梛川[なぎがわ]渓流が流れ、楓を主体とした植栽が渓谷庭園ともいうべき景観を造り上げている。通路の左側の山裾には、土手と数千株のつつじを配植して渓流側とは対照的な趣を展開している。渓流の中間に架けられた石橋を渡り、ゆるやかに登ると、庭門(中雀門)を右に見て本邸表玄関に至る。また、通路をそのまま進めば、旧明治天皇行在所である梛邸前を迂回して本邸表玄関に至る。
 本邸は、3,300平方メートル余の規模をもち、江戸時代の御殿造りの様式を取り入れた近代和風建築である。木曽檜などの良材をふんだんに用いながらも外観としては華美を避け、落ち着いた意匠を示している。また、書院に茶の湯の機能を備えるなど風雅を感じさせる工夫も凝らされているが、この時代にありがちな洋風を極力避け、旧大名家の格式・格調を守る姿勢が感じられる建築である。また、中心の書院だけでなく、家族室、浴室、食堂、諸事務室、土蔵、ボイラー棟、洗濯棟、発電機棟など生活の場がそのまま残されているのは他所に例がなく、貴重な文化財である。本邸の実質的な設計・監督は、東京で多くの実績をもつ原竹三郎が担当し、詳細な史料を残している。また、作庭は、東京仙花園出身の佐久間金太郎が全権を依頼されて指揮にあたったものである。
 庭園は、本邸の2階建書院の南正面に広がる大池泉廻遊式である。面積は約55,000平方メートルであり、その内池泉は約5,500平方メートルを占める。書院の前に大振りの庭石と松樹等を配しながら、その前方で大きく一段下がったところで、東からの渓谷で導かれた水を、高さ3・5メートルの巨石の滝石組で落とし、段落ちで小さな北池に注いでいる。この滝石組の両側の護岸は大きな立石を堅固に組み上げており豪華さを誇っている。北池と南に拡がる大きな南池は東西、特に東側に、高く急峻な岬を廻り込むように大きく拡がり、西側の池尻を含めて伸びやかに展開している。屋敷地の東北部で山から取り込んだ流れは、一方が西へ向かい、先の滝組に導かれ、一方は、林間に曲折する渓流やせせらぎとなって南池の東部に入る。2ヶ所から入った水は池泉のなかを循環して南西隅の池尻へと集水されていく。池尻近くの池畔には石浜を造り、汀に庭趣を添えている。ここより再び流れを形成し土塀の外の濠へ流れでる。
 池泉周辺には、自然地形を活かしながら、石組、植栽、芝生、東屋、燈籠などを適所に配し、廻遊式庭園の典型を具現している。
 庭園の西北部には、この時代の庭園の特徴である、園遊会を主目的にした大芝生広場を設けている。
 また、本邸の各部屋に付随して、それぞれ平庭が造られている。いずれも石組、植栽ともに雄大な造りである。
 庭園植栽は、松を主体に250種類以上を数え、庭石は、当地産出の花崗岩類の山石、川石が中心である。
 この庭園は、選地の優秀性もさることながら、江戸時代を経て伝統ある旧大名家本邸の庭園としての風格を伝えることを第一義とし、加えて近代の活力を屋敷地、建築、庭園全体に導入し見事に表現したことに最大の価値をもつものとして高く評価される。
 さらに、設計・施工にかかわる史料を極めて豊富に伝えており、学術的な価値も高く評価される。
 よって、名勝に指定しその保存を図るものである。

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キーワード

庭園 / 石組 / /

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