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蒲生忠知黒印状〈寛永四年九月廿五日/南七郎左衛門宛〉

がもうただともこくいんじょう

概要

蒲生忠知黒印状〈寛永四年九月廿五日/南七郎左衛門宛〉

がもうただともこくいんじょう

文書・書籍 / 江戸 / 愛媛県

蒲生忠知

がもうただとも

江戸時代初期/寛永4(1627)年

紙本墨書

35.7cm×52.8cm

1通

愛媛県西予市宇和町卯之町4-11-2

愛媛県歴史文化博物館

寛永4(1627)年に松山藩主となった蒲生忠知が、入封に伴い家臣南七郎左衛門へ松山領内で200石を与えた知行宛行状。南七郎左衛門は、蒲生家家臣を記した『蒲生家支配帳』に200石と見えるが、会津時代には250石を賜っていたことも分かる。蒲生家の大幅な減移封により、南家も50石減封となったのである。「蒲生家伊予松山在城之節郭中屋敷割之図」には、現在の花園町の北端に屋敷が見える(絵図では「南七郎右衛門」)。忠知は寛永11(1634)年、治世7年にして継嗣のないまま参勤交代途上で没し、蒲生家は断絶。短命な蒲生時代を伝える、数少ない本人発給文書である。

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