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「高岡駅発汽車時間表」

たかおかえきはつきしゃじかんひょう

概要

「高岡駅発汽車時間表」

たかおかえきはつきしゃじかんひょう

民俗 / 明治 / 富山県

〔印刷〕越中活版合資会社

えっちゅうかっぱんごうしがいしゃ

富山県高岡市

明治39年/1906年

洋紙・印刷

縦35.9cm×横25.6cm

1枚

富山県高岡市古城1-5

資料番号 2-03-01-12

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

本資料は、明治39年(1906)4月改正時の高岡発汽車時間表である。金沢行き6本、富山行き6本、城端行き7本、伏木行き11本の各方面に向かう高岡駅発の時刻表が記載されている。印刷は高岡市定塚町の越中活版合資会社(※1)。発行も同社かと思われるが断言はできない。
明治39年当時の高岡駅は、同31年(1898)1月の民営中越鉄道(※2)(現JR城端線)の高岡-城端間全通、同年11月官営北陸鉄道(※3)(現あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道)の金沢-高岡間開通、同年1月の高岡-富山間開通、同33年12月中越鉄道の高岡-伏木間(現JR氷見線)開通などを経て、各方面の列車が乗り入れる発着駅として利用されていた時期にあたる。
高岡駅(※4)は開設当初、中越鉄道と北陸鉄道は別の駅舎で、両停車場は並列・相接していたが、明治42年(1909)4月に共同使用駅になったという(※5)。
本資料には部分的にヤブレ、全体にシワ・折れが目立ち、取扱いには注意が必要である。


<注>
(※1)越中活版合資会社
 現在のところ創業年代などは不明。当館蔵『雲龍山勝興寺系譜』明治27年初版(大正
2年再版)〔Ⅰ-1-42〕の奥付には同社が「印刷所」であり、定塚町の「千三百二十九番地」
とある。そして「印刷者」は定塚町の「千三百三十番地」の「中山弥一郎」とある。また、
『高岡市商工人名録』昭和2年、高岡市(Ⅰ-1-158)P60には、同社は株式会社となってお
り、番地が「二三二九」となっている。振替口座番号は「金沢五五三」、電話番号は「三三
二」である。場所は当館蔵の大正14年の地図(Ⅰ-1-419)によると、現在の大手町11(貴
金属エバタ)である。

(※2)民営中越鉄道
 中越鉄道(株)によって設置された民営鉄道。中越鉄道(株)は、明治28年(1895)に富山出身の土木技師・吉田茂勝と高岡中田出身の民権政治家・島田孝之(1850~1907)が、大矢四郎兵衛ら砺波郡の地主をまとめて設立された。同30年5月には、黒田(高岡市)-福野間に県内初の、また日本海側初の民営鉄道として開通した。大正元年(1912)9月には、城端-氷見間が全通し、同9年(1920)9月に中越鉄道(株)が国有化(鉄道省に買収)され、国鉄となった(城端-高岡-伏木間は中越線、伏木-氷見間は氷見軽便線となる)。昭和17年8月には、中越線の呼称を廃し、高岡-城端間が城端線、高岡-氷見間が氷見線となり、同62年4月以降は、国鉄の分割・民営化による西日本旅客鉄道会社(JR西日本)の発足後、JR城端線、氷見線となって現在に至る。
(参考)
・『特別展「夢はこぶ“かがやき”-軌道117年のあゆみ-」パンフレット』(当館、2014年)
P1,10-11
・『たかおか歴史との出会い』(高岡市、1991年)P250-251

(※3)官営北陸鉄道
 官営北陸鉄道は、明治26年(1893)に北陸線の敦賀-富山間が着工した。明治29年(1896)7月に福井、同31年4月に金沢、11月に高岡、翌年3月には富山まで開通した。その後、富山-直江津間の建設は明治38年(1905)に官設富直鉄道として建設が決定・開始され、同41年11月に富山-魚津間、同43年4月に泊、大正2年(1913)には富山-直江津間が全線開通した(「北陸本線」と命名)。昭和62年(1987)4月、国鉄分割民営化により「JR西日本」(西日本旅客鉄道株式会社)の運営となる(平成16年に完全民営化)。北陸新幹線長野-金沢間延伸に際し、並行在来線として経営分離される北陸本線県内区間運営のため、平成24年(2012)7月には県・市町村・民間の出資による第三セクター「あいの風とやま鉄道」が設立され、現在に至る。
(参考)
・『特別展「夢はこぶ“かがやき”-軌道117年のあゆみ-」パンフレット』(当館、2014年)
P1,10-11
・『城端線120年記念事業報告書』(城端線120年記念事業実行委員会、2018年)P54,266

(※4)高岡駅
 高岡駅の歴史は、明治30年(1897)下黒田に置かれた中越鉄道(株)の黒田仮駅を前史として、翌31年1月に同社の、そして11月に完成した官営北陸鉄道高岡駅を初代としている。2代目は大正5年(1916)9月に改築された。3代目は民衆駅として昭和41年(1966)11月に「高岡ステーションビル」が開業した。同時に駅前広場も完成し同45年には駅前地下街も建設された。平成26年(2014)3月29日には、4代目高岡駅「Curun TAKAOKA」が完成し、駅前広場や駅地下街などの改修・整備が行われ、高岡の新しい玄関口としてスタートした。
※翌27年3月には北陸新幹線の発着駅として、「新高岡駅」が高岡市下黒田に開業した。
(参考)
・『特別展「夢はこぶ“かがやき”-軌道117年のあゆみ-」パンフレット』(当館、2014年)
P2,10-11

(※5)(参考)
・草卓人『鉄道の記憶』(桂書房、2006年)P94
・『城端線120年記念事業報告書』(城端線120年記念事業実行委員会、2018年)P271


<参考文献>
・『たかおか歴史との出会い』(高岡市、1991年)
・草卓人『鉄道の記憶』(桂書房、2006年)P94
・『特別展「夢はこぶ“かがやき”-軌道117年のあゆみ-」パンフレット』(当館、2014年)
・『城端線120年記念事業報告書』(城端線120年記念事業実行委員会、2018年)

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伏木 / 高岡 / 印刷 / 雨晴

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